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カタログアーカイブ1984・85

1984年のカタログです。三好礼子さんの顔も視えます。





1985年のカタログです。
製品数も増え、世田谷店や吉祥寺店も出来た頃です。















カタログアーカイブ1983

1983年頃のカタログです。
モデルに故 根津甚八さんや、故 戸井十月さんなどの顔もみられます。

















過去製品

過去の風魔プラスワンでは、いくつかのブランドがありました。
■ツーリング用品の『RED HORIZON
極寒仕様のランドクルーザーシリーズやツーリングテント、振り分けバッグと呼ばれたツーリングバック等です。
■ライディングを重視した『FUMA CROSS
涼しいメッシュのジャケットやレーシングジャケット、モトクロスパンツまで製造していました。
■モトクロスウェアの『風神
全日本モトクロス選手権国際A級で史上最多の9回のチャンピオン「東福寺保雄」さんが着用していました。ブーツまで製造していました。

1990年頃のツーリングテントです。当時は重量2.2圓如▲汽ぅ困100x200僂瞭鷽佑能⊃欧垢襪砲蓮⊂し小さいテントでした。この後バイクに引っ掛けない、オプションフライも発売されました。
現在のツーリングウィングテントは、バイクに掛けても単体でも使用も出来るフライシートになっています。


当時のスプレーマスーツは、ゴアテックス製でした。
レインウェアとしてよりも、ツーリングウェアとして着用されていた方が多かったと記憶しています。
現在のスプレーマレインスーツも、同じように使用できる様に、ジャケットに内ポケットを付けるなど、工夫しています。


同じ頃の雑誌に掲載された広告です。 廉価版のレインスーツですが、防水は完璧でした。
雨が降るとバイク便の方達が、こぞって店舗に買いに来ていました。


当時の説明書です。


製造がモンベル製になった頃1996年辺りの製品です。
ゴアテックス製のランドクルーザーツーリングバッグエンデューロザックです。


左がゴアエンデューロジャケット、右がFUMA CROSS XE-7Bです。1993年頃の画像です。


開発資料です。
様々な製品が企画されていました。

下は1982年の広告です。


風神のカタログです。


1990年代のエンデューロレース隆盛時に、専用ウェアも出していました。

風間 深志 について

風間深志


<オートバイ冒険家>
1950年山梨県山梨市生まれ。
1972年から80年まで月刊『オートバイ』で編集者を務め、当時はまだなかった「オフロード」という概念を日本で初めて提唱する。80年にアフリカ大陸の最高峰キリマンジャロへバイクでアタックしたことを皮切りにバイク冒険家として数々の偉業を成し遂げる。88年には全国の地方自治体と協力し、野外遊びを通じて自然への理解を深めることを目的とした「地球元気村」を主宰(のちにNPO法人化)。
08年より「WHO運動器の10年」国際親善大使にも就任している。

「僕の場合、バイクに没頭するきっかけとなる原体験があったんだよね。
それは実家の裏にある霞森山(かすもりやま)(標高504m)の山頂までバイクで登ったこと。町の出初式を見てさ、僕はやぐらに登る大人たちに対抗してもっと高い山に登ってやろうと考えた。なぜバイクかといえば、すでに誰よりも上手く操れるっていう自負があったから。
ただ、実際にやってみると想像していた以上に大変なことだった。もちろんバイクで走れる道なんて整備されていないから、押して進むしかない。約6時間かけて頂上にたどり着いたときには1月にも関わらず全身汗だく。でも、そこからの景色にえらく感動してね。目に映っているのはよくある山の風景に過ぎないんだけど、他の誰もやったことのないことをやり遂げたという達成感と相まって心に響くわけ。頭の中では無限に続く地平線が見えたわけだよ」


「風間深志の冒険」

キリマンジャロ登攀 (1980年)

賀曽利 隆氏、鈴木忠男氏とともに標高5895mのアフリカ大陸最高峰をバイクで登頂する。

日本人初のパリ・ダカール参戦 (1982年)

まだ冒険ラリーの趣が強かった初期のパリ・ダカールラリーに日本人ライダーとして初参加。
見事完走し二輪総合18位の成績を残す。この記録は日本人ライダーの最高位として16年間破られることがなかった。

エベレスト挑戦 (1984年、85年)

地平線の限界を見極めることをテーマにした冒険に挑むようになる。
84年に5800m地点に到達。翌年にルートを変えて再度登頂に挑み、高度6005mの世界高度記録を達成する。

北極点への挑戦 (1987年)

情熱が行き着く最終地点は北極点と南極点というふたつの「極点」だった。
発売を直前に控えたTW200をベースとする。
スタートから47日目でバイクによる史上唯一の北極点到達。

南極点への挑戦 (1992年)

南極点への挑戦はただバイクで到達するだけではなく、市販車を遥かに下回る低騒音、低公害が求められ、環境とモーターサイクルの共存が大きなテーマとなっていた。
ベースキャンプを出発してから28日目、アムンゼン・スコット基地の隊員達に出迎えられながら南極点への到達。

再度のパリ・ダカールラリー挑戦(2004)

リエゾンにて飛び出してきた対向車両と衝突し、現在でも機能障害が残る大きな事故を経験する。

マジェスティでユーラシア大陸横断 (2007年)

WHO(世界保健機関)が提唱する「運動器の10年」世界運動(2000-2010年)キャンペーンの親善大使として、ロシアやドイツなどの最先端の病院を訪問しながらロングダートを含む約1万8000kmを走った。

・4WDカーにてアフリカ大陸縦断11カ国、23,817.5kmを走破。(2008年)

・脚に障害を持つ2名と共にパースからシドニーでオーストラリア大陸を自転車で横断、5,150kmを走破。(2009年)

・「運動器の10年」日本キャンペーン「障害者による日本縦断駅伝」を実施(2 – 4月)。※沖縄から北海道までの2,300kmを、127人の障害者が自転車、車椅子、ハンドサイクルなどでタスキをつなぐ。風間は全行程を自転車で伴走した。(2010年)

・スクーター、自転車、ボートを駆使して南北アメリカ大陸を縦断。全行程15,861.5kmを走破。※(詳細 :南米大陸、スクーター10,070km / 北米大陸、スクーター1,801.5km、自転車2,700km、車750km、ボート540km)※北欧1,169kmを自転車で横断※事故から復帰後の4年間で66,300km、地球一周半以上を走り回る。(2012年)

・2011年3月11日東日本大震災発生。4月より南三陸町yベースキャンプを設置しバイクで情報収集や物資輸送などを展開、約100日間にわたって支援活動に専念する。※以降もNPO法人地球元気村での活動として、被災地支援活動を継続。

・障害者(車イス利用者など)と健常者の混成チームで、アフリカ最高峰キリマンジャロ(5,895m)の登頂に成功(2月)。※障害者(半身不随者など)と一緒に、モンゴルのゴビ砂漠をラクダでキャラバン(9月)。※列島縦断オートバイラリー SSTR 〜 Sunrise Sunset Touring Rally 〜 開始(10月)2012年

・平成25年度「運動器の10年」特別賞受賞。(2014年)

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